今回は、私の競技人生を大会8連覇で締めくくることができ……
ちゃうちゃう! 小平奈緒さんおめでとう。
(なぜ私に何通もの労いのメールが来るのか?)
今日の「オドレら正気か?」は、
コロナから最近の社会問題までを見返しながら、
深く思想していく時間を味わった。
人々を罰し拷問していた王権時代の「殺-権力」から、
人々を管理し家畜化して生きながらえさせる「生‐権力」へと
変容していること、
そして、その「生‐権力」を国民が内在化してしまい、
自ら「世間という権力」となって自分たちを監視しあい、
縛り付け、管理されることを望むようになっていること、
強大な権力がふるわれるなかで、責任の所在がうやむやにされ、
弱い個人が犠牲になっていく構図は、
なにも首相と官僚の忖度だけでなく、
国民自身にもあるということなど、
自覚や思考が問われる話が、とても面白かった。
SF映画を見ながら、
「こんな管理社会、こんな家畜化社会になったら恐ろしいね~」
と感想を抱いてきたことはあったけれど、
コロナで、日本はあっさりそういう未来に向かって舵を切った。
中国がデータで国民の日々の行動まで徹底管理する様子や、
インドが黒目の虹彩や指紋などの生体認証で国民を管理する様子に
唖然としたのは、ほんの3年ほど前だったが、
強引に管理していく方向性を見せつけられたいま、
もはや驚いている場合でもない気がする。
民主化や近代化などによって、国民が手に入れたものは
生‐権力の内在化による家畜化や、超管理国家などで、
みずから捨てたものは「自由」だった、なんて嫌すぎる。
マイナンバーによる管理についての話は、
やけに印象深くて、帰途でも反芻していた。
病歴も納税額も資産も一元管理されてしまった状態で、
もし国家権力が乗っ取られたり、崩壊させられたりして、
もはや個人で戦わなければならない局面になったとき、
自分の情報が吸い上げられていたらどうするのか?
そこまでの極限をリアルに想像して、
権力を「ずっと今のまま存在するもの」という前提も外して、
国家の存亡というものを俯瞰しながら、
日々の1つ1つの社会問題を思想していることには凄みがあって、
改めて、自分の反骨精神に喝を入れられたような
気持ちになった。
こういうことを体験する場って、私にとっては、やっぱ
「シンポジウム」というより「道場」と呼ぶのがふさわしい
けどなあ……。
さあ、そしてこの勢いを引き継いで、
11月12日(土曜)は、福岡で「九州ゴー宣道場」!
しかもテーマは、
ウクライナ人の政治学者、グレンコ・アンドリー氏を迎えての
「ウクライナ戦争論」。
これを逃す手はない!
まだ応募できるようなので、予定のつけられる方は、
ぜひご参加ください。